オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(1872年8月21日 – 1898年3月16日)は
19世紀イギリスのイラストレーター、詩人、小説家です(*‘ω‘ *)
ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する存在であり鋭いモノトーンのペン画で
耽美主義の鬼才とうたわれていましたが病弱ゆえに25歳で死去しました。
そんな彼の展覧会が三菱一号館美術館で開催されており先日足を運びました!
今回はそのビアズリー展をご紹介させていただきたいと思います!

 

彼は7歳の時に結核の兆候が表れ学校を退学し一家でロンドン南郊に転居。
3年後、当時ビアズリー家を援助していた夫人から初めて絵の注文を受け
絵本からの模写で報酬を得る⇒再びロンドンへ移り住みます。

その後は家計を支えるため16歳から事務員として働き制作活動は主に夜でした。
ろうそくを灯して絵を描いていたというのは有名な話です( ̄∀ ̄)b
卓越したセンスと素晴らしい画力を持つビアズリーです。
そんな彼のもとへ仕事の依頼が舞い込むまでそう時間はかかりませんでした。

1893年春、芸術雑誌の創刊号で大々的に取り上げられビアズリーは
注目の的となり、このとき《お前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン》が
出版業者J. レインの目に留まり『サロメ』の挿絵画家に抜擢されます。

 

一躍時の人となり、更には革新的な文芸雑誌『イエロー・ブック』の
美術編集を任され成功を謳歌します( *´艸`)

  

オスカー・ワイルドと契約を交わし『サロメ』の挿絵を描いていたビアズリーですが
1895年4月5日、ワイルドが男色の罪で逮捕され大きなスキャンダルとなります。
『サロメ』以来ワイルドと一体視されていたビアズリー。
ビアズリー自身は男色家ではなかったのですが、当時の英国世論から猛攻撃を受け
とうとう『イエロー・ブック』から追放されてしまいました(´・ω・`)

1896年1月、スミザーズとアーサー・シモンズの招きで『サヴォイ』誌創刊に参加。
同誌の美術編集者となり、そのおかげでビアズリーの生活は外面的にはある程度回復。

 

しかしビアズリーに与えられた時間はそう長くはありませんでした。
ビアズリーの人生は常に結核との闘いと言っても良いでしょう。
日々悪化していく病状の中、1898年1月、結核の進行により右手が動かなくなります。
同年3月16日、母と姉に看取られマントンにてわずか25年の生涯を終えました。

短い人生の中で描かれた彼の作品は後世に多大な影響を残しています。
私は彼の作品を見ていると、悪魔的な鋭さを感じると共にどこか寂しいような
儚いような・・・なんとなく切なくなってしまいます(´-ω-`)
もちろん大好きな芸術家ですが。笑

人を惹きつけずにはいられない妖艶な魅力に満ちたビアズリー作品の数々。
皆様も是非、一度は彼の作品を鑑賞してみてください!おススメです!

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